丘の上に月が昇る・続

◆イタリアSF友の会◆

L'età sottile

イタリアの幻想作家Francesco Dimitri(フランチェスコ・ディミトリ)の長編第4作であり最新作のアーバンファンタジー『L'età sottile(希薄な年齢)』。

現代のローマ(とポルトディマーレ)を舞台にした、魔術の習得に青春をかけた少年少女の物語。といえば、ハリー・ポッターを思い出すかもしれない。大きな違いは本書が“リアル”だということ。呪文を唱えて魔法の杖から光線を出したりしないし、杖に座って空を飛んだりもしない。杖は登場するが、墓場に生えたネミの樹の枝を折り取り、手順にしたがって杖を作り、それを聖化する。ネクロマンシーの儀式も登場するが、ぼやけた姿の霊が登場することはない。“そこに死者がいる”という強烈な超感覚的知覚があるだけ。霊的攻撃やアストラル界での攻防は、華麗さのかけらのないグロテスクでおぞましいものだ。そして魔術の道はとてつもなく孤独で厳しい。この道を選ぶということは、これまで生きてきた世界を捨てるということなのだ。

著者フランチェスコ・ディミトリはオカルティズムの研究家でもあり、本書で使われている魔術は、意思と想像力を基盤とした、おそらくアレイスター・クロウリーエリファス・レヴィ(本書に登場するマスターの名はレヴィ)などの歴史的でリアルな近代魔術である。

14歳の夏のヴァカンスで初めて失恋をした少年グレゴリオ。海辺で謎の老人レヴィと出会う。2年後のヴァカンスでレヴィと再会。魔術師だと名乗るレヴィは、弟子にならないかとグレゴリオを誘う。疑わしく思うグレゴリオだったが、巧みな話術に乗せられるままに、いつしか魔術師の道に足を踏み入れてしまう。それは、もはや後戻りのできない、想像を絶するほど残酷な道だった。

本書は3部構成。第1部はいわば入門編。ヴァカンスの地でグレゴリオが魔術の道に足を踏み入れるまでが描かれる。母の死による父との不和、父の再婚などで家庭内に居場所のないグレゴリオ。心を許せるのは姉サラと、恋人キアラだけ。毎年ヴァカンスで訪れる海辺の村の友人たちとバンドを組み、聴くに堪えないへたくそな演奏を行なったりして、のん気なヴァカンスを楽しみながらも、レヴィの家に通い、魔術を教わっていく。はじめは魔術などほとんど信じていないグレゴリオだったが、「信じているふりをするだけでいい」とのレヴィの言葉に従っていくうちに、少しずつグレゴリオの日常は変っていく。そして友人の悩みについて行なったタロット占いをきっかけに、大変な事件が起こる。

第2部は修練編。ヴァカンスも終わり、舞台は秋のローマ。実はレヴィの弟子はグレゴリオだけではなく、他に4人いた。レヴィは自分の弟子は4人だと決めており、グレゴリオの代わりに誰か一人を破門しなければならない。レヴィは残酷にも、それをグレゴリオに強制的に決めさせる。誰を選んでもしこりは残る。このせいでグレゴリオは残った弟子3人から疎んじられるし、追い出された元弟子との確執はその後も続いていく。さらには、これまで生きてきた世界との断絶を感じ、孤独を感じ、秘密を抱えているために恋人ともうまくいかなくなる。それでもグレゴリオは魔術の道をやめない。次第に他の弟子3人とも打ち解けていき、魔術の修行は続いていく。そんな折、底の見えない暗い深淵に引っ張られるヴィジョンを見る。グレゴリオは得体のしれない恐怖と不安を覚える。

3部は実践編。“敵”との攻防。陰鬱な殺し合い。絶望的な戦いを余儀なくされる少年少女たち。

お祭りのような派手な『Pan(パン)』もすごいと思ったが、本書も傑作。派手ではないが、じわじわと襲いくる感じがたまらない。魔術の道を進むということは、これまでの生き方にはもう戻れないということ。自分が魔術師の弟子だということは絶対の秘密である(破れば即破門)。そのせいで恋人とは別れることになる。他の魔術師の悪意にも、自らの力で立ち向かうしかない。友人は同じ道を進む魔術師の弟子たちだけ。これでもかといわんばかりに魔術師の弟子が歩く道は暗い。暗い中を自らの意思で選択し、進む方向を決めなければならない。それでも世界の神秘を知りたいという知的好奇心に動かされ、歩みを止めない。魔術の儀式については精緻に詳細にリアルに描写されているし、霊的戦いについてはいつもながらのディミトリの容赦のない過酷な展開だ。あっけなく人は死ぬ。第3部の霊的攻防は派手さがない分、恐ろしさが真に迫っている。本当に怖い。一人称小説ということもあり、主人公の少年の心情が丹念に描かれていて(特に孤独感、喪失感、自己卑下など、彼の苦しみが)、苦しいほどに胸に迫ってくる。見事な青春小説だ。

実は、長編2作目『Pan』や3作目『Alice nel paese della vaporità(蒸気の国のアリス)』のつながりがさりげなく示されていて、『Alice nel paese della vaporità』のミヤモトや『Pan』のミケーレのことが、本書でそれとなく語られている。いつものダゴンも名前だけ登場する。そうじゃないかと思っていたが、著者の作品は全部つながっているのは間違いない。ディミトリの全長編の中では、実は『Alice nel paese della vaporità』が一番の異色作で変則作。いくつかのアイデアは面白いけれど、全体としてどうかと言えば物足りない。『Alice nel paese della vaporità』は、無数に存在する世界における別世界の物語サンプルという感じなのだろう。

本書タイトルの「L'età sottile」(希薄な年齢)は、本編に登場する「まだあらゆる可能性を持っている希薄な年齢だ」という台詞から取られている。また、魔術において物質的な身体と異なった、エーテル体やアストラル体のような“精微な身体”(corpo sottile)ともおそらくは関連している。

あと気づいたのは、ディミトリの作品ではなぜかいつも姉と弟、兄と妹の関係が重視されていること。『La ragazza dei miei sogni』は主人公と妹カミッラ、『Pan』では三きょうだい、『Alice nel paese della vaporità』ではベンと妹リッリ、本作ではグレゴリオと姉サラ。グレゴリオは自分の命をかけて姉サラを守ろうとする。親子関係はうまくいってないとしても(というより、うまくいっていないからこそ)、異性のきょうだいとの心のつながりが非常に強い(恋人よりも)。この点は少し気になっている。